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(visa) 在留資格のゴール

 在留資格の審査は、「永住許可」をもって一応のゴールに到達するといえる。 その人(クライアント)は、2019年に配偶者(永住者)の呼び寄せによって、ナイジェリアから入国した。 当初、配偶者(妻)が自身で呼び寄せのための申請を行ったが、婚姻に至る経緯説明の点で、十分な説明を提出できず、一旦不許可となっていたことから当職への依頼に至った。 妻は再婚で、クライアントは、再婚者として「永住者の配偶者等」での来日となった。 その後、2回の在留資格更新を経て、3年の在留許可を得たのち、今般の永住申請に至り、申請後、約4か月での許可付与となった。 日本人あるいは、永住者の配偶者たる身分の人は、婚姻後3年以上の経過(ただし、永住申請時点において3年または5年の在留期限を得ている必要がある)をもって、永住申請の資格を得ることができる。 但し、近年の永住申請においては、日本における納税実績(年金保険料、健康保険税を含む)や所得実績に重点をおいた審査となっているため、最速で永住許可を得ることは難しいケースも多い。 当該クライアントにおいては、婚姻経過後4年程度で永住申請を行い、最速で許可の付与に至っている。 今回の「勝因」は、やはり、クライアントの誠実さが大きく影響したと考察する。 具体的には、日本に来てからの就労状況の誠実さ(当初は日本語が全くできなかったが、製造業で派遣工員としてまじめに勤務し年収は順調に伸びている)と、家族への誠実さ(永住者たる配偶者とその連れ子2名の未成年者をとても大切にしている)である。 クライアントとその妻は、当職の業務遂行にとても感謝してくださったが、この「勝利」は件の家族がもたらしたものに相違ない。 招聘申請(呼び寄せ)の際に、様々な資料をたくさん抱えて、当職を訪ねてきたときの妻の姿をずっと忘れることができない。 おめでとう!

(FAMILY) 家族にシアワセが戻ってきた

 コロナ禍による新規入国者の制限が、解除されつつある。 家族とともに暮らすため、日本で単身赴任している人たちも、ようやく配偶者や子どもの呼び寄せが叶うようになっている。たくさんの外国人たちが、コロナ感染症の蔓延中に本国で誕生した赤ちゃんを2年以上経って、初めて抱きしめることができている。 今日、2組の家族から、先月日本に到着した子どもさんの写真の送付をいただいた。とても幸せな気持ちになる。 当職が関わる仕事は、ペーパーワークで、在留資格が無事に許可となれば、報酬をいただいてお役御免であるが、家族の入国に関わった場合は、とりわけ無事の入国を確認したい思いが強い。 わたしたちの仕事は、依頼人の希望する結果に向けて最善を尽くすことであるが、業務遂行において依頼人たちの未来の幸せを願っていなければ、ベストパフォーマンスはできないと確信している。

TREND~技能実習生から特定技能外国人に

 関わらせていただいている技能実習生監理団体において、2020年から大きな変化が発生している。技能実習2号生(3年間の実習満了者)から3号実習生(追加で2年の実習を行なうことができる者)に進まず、特定技能外国人として監理団体傘下外の企業への転職を希望する人たちの大幅な増加である。 具体的には、2号修了者の半数以上が転職を希望して、監理団体を離れるようになった。 この流れは、2019年冬に勃発した新型コロナ感染症の流行によってもたらされた。 2020年春、出入国在留管理庁は、日本への入国制限を開始したが、当然、それに伴って各国との往来便は限定的に運行されることとなり、小職が在留申請を取り次いでいる技能実習生2出身国インドネシア、フィリピン、ベトナムの3か国においても、早晩、往来便は制限され、中部国際空港では、やがて、国際便が全便運休された。 この事態を受け、出入国在留管理庁においては、在留期限が到来しても帰国便の確保が困難な人たちに様々な利便を図らざるを得なくなったが、技能実習生らに関しては、2号技能実習を修了後に「実習を行っていない職種現場への」「特定技能外国人としての」就労の道が開かれた。具体的には、実習生として、プラスチック製造会社で現場にでていた人たちが、例えばケーキを製造する工場での勤務が可能となった。(時限的措置であり、今後はできなくなる見込み。) 技能実習生の「職種枠を超えた特定技能所属機関への転職」である。つまり、技能実習生は、「特定技能外国人」として、3年間の技能習熟訓練を行っていない業種への転職を認められることとなった。 これは、在留資格「特定技能」を設置した当初、外国人の単純労働解禁を制限するために、政府が楔として打ち込んだ「職種限定措置」の枠組みに背くものだ。 具体的には、実習生をはじめとする実質的現業従事者を、国内のあらゆる現場で就労させないために、あくまでも、「一定の職能を備えた人材」に限り「一定の職能を有効活用できる就労先」に向かわせて我が国の産業発展に機動的に貢献してもらおうとする仕組みであったが、制度設計の厳格性ゆえになかなか運用が進んでいなかった。しかしながら、思いがけず、「コロナ禍」の影響によって、「職種の枠」という箍が外された格好になった。 いづれにしても、日本に残って様々な業種で働く外国人たちの、今日、明日、そして未来が明るい

(Consideration ) 冤罪と在留資格

 刑事事件に関して、我々の認識を遥かに超える件数で冤罪が存在する可能性があるらしい。これは、強制わいせつ罪などのうち軽微な処罰にあたるものほど、その確率が高まるようだ。つまり、自白と勾留解除の天秤で、自白(無実であっても)に落ちるケースがずいぶんあることが否めないそうである。今村核弁護士の著書によれば、連日の勾留取り調べの中で、無実を主張することが困難な精神状況に陥る人が大半であり、無実獲得への強力な精神的支えなくしては、自白がもっとも「安楽な」選択肢であるらしい。 ところで、私はたまたま、外国人の在留申請を業としているが、外国人が例えば強制わいせつ罪などの容疑をかけられ勾留取り調べを受けることとなり、犯行自白となれば、訴追→有罪→在留資格喪失(拘留中に在留資格更新等ができずに喪失あるいは、刑によっては入管法24条により退去強制処遇)への可能性が高くなる。 以上の2点を俯瞰するに、外国人が何某かの刑事事件犯罪容疑者となり、実は犯人ではなかった場合、果たして無実の立証に成功しそれまでの在留資格を保持し続けることは、どれくらいの確率で可能であろうか。 翻って、5年ほど前の事案を思い起こさずにはいられない。 事件は、以下のあらましである。 I国人女性Xは、EPA看護師資格者として2年ほど前から在留していたが、勤務先の介護施設でいじめにあったという理由で職場を放棄し、それにより在留資格は失効していた(オーバーステイ)。ところが、半年ほど前にB国人男性Y(永住者)と日本において婚姻したため、「永住者の配偶者」としての在留特別許可を求めて当方へ依頼をしてきた。ところが、女性Xの話を聞くに、配偶者Yは、2週間前に「路上を歩いていた日本人女性の体を触った」との疑いで、逮捕、勾留中であった。 この際、Yが不起訴処分となれば、Yの配偶者としてXがもとめた在留特別許可の申告は、実態調査へとすすめられる可能性が多いにあったが、結局、Yは起訴され(従前に同種の犯罪で執行猶予処分とされ、今般の逮捕は、当該執行猶予期間中でもあった)在留特別許可の調査は保留されることとなり、その後、申告は却下処分とされた。これは、結局、Yの在留資格そのものの存続に疑義が生じることとなり、Yの在留資格を前提とするXの配偶者たる在留資格審査は行うことができないという判断である。 ところで、当方では、Yの起訴前に、Yが

( HAPPY : )) 伝えられたシアワセ

 ~資料としていただく写真からとどけられるもの~ 在留申請の添付資料として、写真をお願いすることがある。 身分系の在留資格(定住者とか日本人の配偶者とか)に関する在留申請の添付資料として、生活状況を審査官に伝えるために、依頼人のかたにスナップ写真を送っていただくことがある。 今回の申請でも4歳の子どもさんの在留更新にあたり、スナップ写真をいただいた。 ご家族3人の写真。 全員の笑顔。 このような家族写真をいただいたとき、幸せを共有させてもらった気がする。 この商売、依頼人の方からいただく報酬は金銭だけではない。

(POWER) 実習生から届く力。

~困難な局面をどのように乗り切るのか~ 2020年1月初旬、フィリピンマニラ国際空港では、近隣火山の爆発により滑走路の視界が基準を下回ったため、航空機が離発着できない事態が発生した。 この折、小職が携わらせていただいている技能実習生5名が、2号技能実習後の一時帰国を終えて日本に再入国するため空港付近で出国の準備をしていた。彼らが出発予定の便は、火山爆発の翌日であった。 結局、彼ら5名は、滑走可能となるまで48時間以上を空港内にて待機し、その後も1週間近くを空港の所在する都市にある関係先機関にて過ごしたようである。 やがて、当該空港からは、滑走可能となった便より順次運航されたが、彼ら5名が当初予定していた航空便は一旦キャンセルされたことから、彼らが搭乗できた便は、当初の入国予定港ではなく、勤務地の愛知県から離れた大阪にある関西国際空港に到着の飛行機となった。 彼らの難航はさらにつづく。 関西空港に到着した便は、深夜着であった。彼らは、見知らぬ大阪の街で一夜を過ごせる宿泊所を探したが、結局、宿泊施設を確保することができず、市街の24時間営業のカラオケ店で休息した。 そして彼らは翌朝、勤務地のある愛知県に移動したが、大阪から愛知県までの行程は、はじめて乗車する電車での移動となり、3時間程かけて普通電車で名古屋駅まで移動することとなった。名古屋駅に到着した時間が8時頃であったので、遅くとも5時前には宿泊した場所を出発したと推測している。 その後、彼ら実習生を世話している監理団体の職員が名古屋駅付近で彼らを出迎え、彼らはようやく職員の運転してきたハイエースで休息することができた。 在留申請手続きの為に、駅付近で待機していた小職は、彼ら5名が、職員のバンに乗った後、ハイエースから10メートルほど離れた場所で、車窓越しに彼らと対峙した。在留申請に必要な書類は、当該職員が小職のいる場所まで運んできてくれたからである。 それらの書類を確認した後、彼らの難航へのねぎらいと、行程をやり遂げたかれらへの励ましをこめ、車窓にむかって手をふると、車窓から見える何名かの影が、大きく手を振りかえしてくれた。頭をさげてくれた子もいる。ずいぶんな疲労の後に元気な様子でこたえてくれる。 この仕事にたずさわって、様々な環境を生きている依頼人たちからおしえられる事

(FAMILY) 国際養子事案。

~情愛と難所~ 日本人のご主人は、結婚10年になるインドネシア人の奥様(永住者)との間に子どもがなく、奥様がさみしがっていることを気遣って、奥様の本国から親戚の赤ちゃんを養子に迎えたいと考えていた。 このような事情の下、養子を予定している子どもの日本での在留許可をもとめて小職の処に相談に来られた。2016年の夏頃である。 入管法においては、件のご夫婦と当該子の間で養子縁組が完成することが、在留資格許可の要件(定住者7号許可基準)になっている。 しかしながら、インドネシア法制下では、日本とは違って、養子縁組手続きには裁判所の許可が必要となる。 この事案の場合、養親となる夫婦の一方と養子となる子どもがインドネシア人であるから裁判所の許可をかならず経る必要がある。 当初は、インドネシア国において弁護士等を代理人として専任し、裁判を進行させようと調査を行ったが、法令を調査していくと、養親となる外国人がインドネシアに2年以上居住する必要を当該国の法律で定めていることが判明した。 日本人であるご主人が、日本での仕事を辞めて、2年間インドネシアに居住することは、現実的に不可能であることから、手続きの方針は、日本において養子縁組手続きを完成させた上で、当該子の在留資格申請に臨むこととなった。 当該子は、養子縁組裁判の申し立てを前提に2017年2月に短期滞在査証で来日し、件のご夫婦の住所地を管轄する家庭裁判所に国際養子縁組許可を求めて審判の申し立てを行った。 結局、審判は2年半の調査(法令調査、実態調査など)期間を要した後、2019年秋に養子縁組の許可を得ることとなり、その後すぐに、在留資格「定住者」の申請で許可が付与されて現在に至っている。 簡単に記述すれば、上記の通りにわずか4~5行の成り行きとなる。 しかし、具体的に審判の管轄地を日本とすることができる根拠先例の調査、インドネシア法令の解釈調査、家裁調査官への進捗確認など、現実の作業は大変手間のかかるものであった。 また、なかなか進捗しない手続きに、「短期滞在」という不安定な在留資格(中長期在留者に非該当となるため、健康保険あるいは社会保険への加入ができない。また、3ヶ月毎に在留審査を受ける必要がある。)で滞在する幼子を案ずるご夫婦の思いが、いらだちと不安となっ